ドゥルパドとは ―北インド古典音楽とドゥルパドの歴史―

うたうヨーガ、うたう瞑想、ドゥルパド。

北インド古典音楽とドゥルパドの歴史

南北を問わずインド古典音楽は、はるか紀元前にさかのぼるサーマ・ヴェーダの詠唱がその起源と言われています。ヴェーダの詠唱は3音のみで構成されることが普通ですが、このサーマ・ヴェーダは7音階の旋律にのせて歌われる神々への讃歌集で、仏教時代を経て声明の起源ともなりました。

その後、北インドでは長い間に様々な音楽形式が展開して行きました。それらは散発的に歴史に登場するサンスクリット語音楽学文献の『ナーティヤ・シャーストラ』(成立年代は不明、およそ紀元前後から3世紀ぐらいの間)、『ブリハッデーシー』(9世紀)、『サンギータ・ラトナーカラ』(13世紀)の中で垣間見ることができます。

9世紀の文献に『プラバンダ』という音楽様式のことが書かれています。さらに13世紀の文献には、『ドゥルワ・プラバンダ』が登場します。これが直接のドゥルパドの前身です。ドゥルワ・プラバンダが現在の『ドゥルパド』というスタイルに確立されたのは、16世紀のことでした。この頃、すでにその芸術性の高さから宮廷音楽としても取り上げられていました。そして大変な音楽愛好家であったグワリオール藩王国のマハラジャのマン・シン・トーマルの宮廷にてマハラジャと宮廷音楽士たちの間で会議が行われ、ほぼ現在のスタイルに確立されました。

ドゥルパドの成立年代は9世紀、13世紀、16世紀の3説がありますが、それはプラバンダが文献に登場する時代からとするか、ドゥルワ・プラバンダが文献に登場する時代からとするか、マン・シン・トーマルの時代からとするかによります。

このドゥルパドが古典音楽の主流であった時代は19世紀初頭まで続きますが、やがてペルシア音楽とドゥルパドが融合して生まれたより華やかな宮廷音楽のスタイル『カヤール』が取って代わって主流となり、現在に至ります。またドゥルパドからカヤールが生まれたように、カヤールからも叙情的なトゥムリーや軽快なタッパー、タラーナーといったセミクラシカルな様式も生まれました。

ドゥルパドが全盛であった時代から藩王国制度が消滅するまでの間、ドゥルパドの音楽家たちは他の音楽家たちやマハラジャの音楽のグル(師)でした。この頃のドゥルパドの音楽家たちは他のすべての様式もマスターしており、一番格式の高いドゥルパドは自分の家系のみに伝え、家系外の弟子たちにはカヤールをはじめとした他の様式を教え伝えました。しかし、このことが20世紀のドゥルパド消滅の危機の一因となります。まず、すべての様式をマスターするための修行時代の長さ・過酷さが少子化をもたらし、継承者が少なくなったこと。そして家系外の継承者がいなかったこと。さらに華やかさに劣る瞑想的なドゥルパド様式の音楽家たちは大衆がパトロンとなった第二次大戦後に職を失い、厳しい生活を迫られたこと。この頃、飢えて死ぬ人もいたという話です。

この厳しい時代に、ドゥルパド存続の危機を感じた一部のドゥルパド演奏家が家系外の弟子にもドゥルパドを教え始めました。1960年代にダーガル流派第19世代のうちのウスタド・ジア・モヒウッディーン・ダーガル(弦楽器ルドラ・ヴィーナー演奏家)とウスタド・ジア・ファリードウッディーン・ダーガル(声楽家)兄弟から始まりました。(*ウスタドは敬称、イスラム教徒のマスターに贈られる、以下、Ud.)

この二人は、もともとウダイプル宮廷音楽士であったUd. ジアウッディーン・ダーガルの息子たちで、藩王国制度消滅後にまず兄のモヒウッディーンの方がムンバイに拠点を移し家系外の弟子を取り、優れた演奏家たちを育て上げました。
 その中ではベナレス・ヒンドゥー大学教授であるパンディト・ リトウィック・サンニャル(声楽家)、弦楽器スルバハール演奏家のPt. プシュパラージ・コシュティが現在ドゥルパド演奏家として、またグルとして世界的に活躍しています。(*パンディトは敬称、ヒンドゥー教徒のマスターに贈られる。以下、Pt.)

さらに、マディヤ・プラデーシュ州政府がドゥルパドのセンターを作り、弟のファリードウッディーンをグルとして迎えたグルクール(道場)を開設しました。ここからグンデーチャ・ バンドゥ、Pt. ウダイ・バワーリカル等、優れた声楽家たちが輩出されグルとしても活躍しています。

この二人のウスタドの弟子・孫弟子たちには、西洋人や私たち日本人も含まれ、一握りの家系の門外不出であったドゥルパドは今や世界的な拡がりを見せています。

現在のドゥルパド・シーンは、以上の家系外のダーガル流派の演奏家たちとダーガル家系の数人の演奏家、数人のダルバンガー流派の家系演奏家たちによって主に牽引されています。ダーガル家の演奏家としては、ルドラ・ヴィーナー奏者のUd. モヒ・バハウッディーン・ダーガル(モヒウッディーンの息子)、声楽家のUd. ファイッヤーズ・ワシーフウッディーン・ダーガルが有名です。ダルバンガー流派の方々は、ビハール州のダルバンガー宮廷出身のドゥルパド声楽家で、Pt. プレームクマール・マリックが現在の主要な演奏家です。

以上はメロディー奏者のドゥルパド演奏家たちの伝統ですが、ドゥルパドにはパカーワジという両面太鼓の伝統も続いています。